30代で大学生ってそんなにおかしいか?


今年も正月の風物詩、箱根駅伝が盛り上がった。
 

自分は毎年箱根駅伝を見ているが、その中で忘れられない大会がある。
 

それは、2018年の箱根駅伝だ。
 

この年、例年にない注目をされたランナーがいた。
 

それが東京国際大学1年生、渡辺和也さんだ。
 

30歳の1年生・元日本代表 渡辺和也が箱根駅伝に挑む!
 

彼は30歳で、陸上の指導者として活躍するために大学に入り直したという異色の経歴の持ち主。
 

自分も大学に回り道して入ったので、その決断は大変なものだったと想像できる。
 

引きこもりニートが大学受験!目指せ人生逆転!!

2020年3月24日
 

なぜなら日本の大学は事実上、20代前半までの若者の為に存在すると言っても過言ではないからだ。
 

では何故、日本の大学は若者の為だけに存在するのか?
 

社会人を経験してから、大学で学び直すのはダメなのか?
 

この大会の箱根駅伝を通じて、30代の大学生というだけで、こんなにも注目を浴びる日本の大学教育のあり方と価値観に異様さを感じざるを得なかったのだ。
 

30代で大学生ってそんなにおかしいか?


以下のグラフは、OECD主要加盟国とアジアの国々の大学入学時の平均年齢を表したものだ。
 

OECD Education at a Glanceより

 

自分の海外の友人の中には、30歳を過ぎてから大学へ入学するのも珍しくはない。
 

年齢にとらわれることなく、やりたいことや学びたいことがあるから大学に行く。そのために大学はあると考えている。
 

しかし、日本の場合はこの考え方は中々理解されない。
 

10代で大学に入学するのが当たり前の環境で、20代後半以降で大学生という身分だとマイノリティで奇異な目で見られてしまうのだ。
 

日本の大学生
30代で大学生!?何浪だよwww
 

上記の渡辺さんのように、30代で大学1年生となると周りの目を気にせず、自分を貫き通す強い精神力が必要になってくる。
 

そもそも若くして大学に入学することが、そんなに偉いことなのだろうか?
 

親の金で入学した10代の大学生の中で、どれだけの人間が高い目標を持って大学に通っているのだろうか?
 

若い人がモナトリアムを楽しむだけになっている日本の大学教育

何故、日本人の多くは大学に進学するのだろうか?
 

それは、会社に入るために必要な「新卒」という名のパスポートを得るためだけと言っても過言ではない。
 

つまり、日本の大学は、その「新卒」という名のパスポートを発行する為だけに存在しているのだ。
 

自分が就職活動をしていた数年前は、面接時に大学の成績表を提出することすら一般的ではなかった。
 

大学は勉強する場所ではないと言わんばかりに、皆、就職活動でアピールするものは、サークルなどの課外活動。
 

そして、企業の人事達もそれを当たり前として許容していた。
 

「ウェーイ」と叫びながら飲み会だけの大学生活でも「大卒」というだけで世間的に評価されてしまう日本社会。
 

事実、日本の大学には25歳以上は2%しかおらず、高校の延長の様なものになっている。
 

海外の様に多様な年齢、多彩な経歴の学生が混ざって影響を与え合うという環境が全くないのだ。
 

自分も日本の大企業に入るには「有名大卒」の肩書きが必要と感じて、フリーターから大学入学を目指したが、大学教育そのものには意味を見出せなかった。
 

大企業に入るための「学歴」と「大卒」の肩書きが入学の目的となっていて、学問を学ぶためではなかったからだ。
 

自分が何をしたいかではなく、他人にどう見られるかを優先する日本人


では何故、日本の大学は、若い人の為だけの教育機関となってしまっているのだろうか?
 

それは、日本人の「人生観」に原因がある。
 

日本人の人生観
1.高校卒業後は、より偏差値の高い大学へ進学。
2.大学卒業後は、より知名度がある大企業に就職し定年まで勤務。
3.30歳くらいまでには結婚、出産。マイホームを建てる。
4.新卒で入社した企業を退職後は、年金を貰いながら悠々自適な生活。
 

職業によって多少の進路の差はあっても、これは昭和の時代から、今でも多くの日本人に根強く信仰されている「人生観」だ。
 

この生き方は、日本人が日本で生きていくための「道」とも言っていいだろう。
 

そして、日本には日本人皆がこの「道」を外れることなく歩んでいるかどうかを監視するものが存在する。
 

それが「世間様」と呼ばれるものだ。
 

ゴッド世間
世間様に背くでないぞ
 

日本人の多くは・・・
 

日本人
日本人は無宗教だよ。
 

と思っているが、それは少し違う。
 

キリスト教でイエス・キリスト、イスラム教ではアラーが信仰されている様に、日本で「神」の役割を果たしている存在が、この「世間様」なのだ。
 

この日本教で信仰されている「道」から一歩でもはみ出ると、「掟破り」と見なされ、この「世間様」から異端の烙印を押されてしまう。
 

学歴中退や未婚、子なし夫婦、複数回の転職などは、その典型的な例だろう。
 

世間に顔向けできない・・・
 

世間に迷惑をかけた!!
 

このような言葉に代表される様に、日本で生きていくには、この「世間様」のご機嫌を損ねたり、示された「道」を破ることはご法度なのだ。
 

つまり、30代で大学に入学するということは、「世間様」が示した「道」を外れることになる。
 

上記の渡辺さんは箱根駅伝のランナーという特別な存在だからこそ、「世間様」から好意的な意見で迎えられている。
 

では、もし彼が箱根駅伝のランナーではなかったら?
 

箱根駅伝ランナーというブランドがなく、ただ陸上の指導者として学ぶために大学に入り直したとしたら?
 

「世間様」はこんなに好意的に彼を迎え入れただろうか?
 

何かを成し遂げるためには、他人にどう見られるかは関係ない


自分がフリーターから3年遅れで大学生になった時、怖くて周囲には自分の年齢は公表できなかった。
 

明らかに自分の経歴が異色で、日本の世間様の「道」に大きく背いていたからだ。
 

自分の年齢がバレたら「仲間外れにされる」「奇異の目で見られる」「嘲笑の対象にされる」。
 

当時もそう思っていたが、今もその思いは変わらない。
 

大学生活の4年間の中でごく親しい友人にしか、自分の年齢は明かさなかった。
 

そう思うと箱根ランナーの渡辺さんの決断力、精神力がどれだけすごいものか実感できる。
 

何かを成し遂げるためには、他人にどう見られるかは関係ない。
 

そう思わせてくれるには、十分な箱根7区の走りだったのだ。
 

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2020年3月25日

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