「人に迷惑をかけるな!」と言うのは日本人だけ


最近、Twitterを見ていると東京のトレンドとして「人身事故」が多く上がる。
 

その関連で必ず出てくるのが、人身事故を起こした人に対して・・・
 

人に迷惑をかけるな!一人で◯ネ
 

と言うものだ。
 

自分も学生時代から東京に10年住んで、人身事故に遭遇することは多々あった。
 

人身事故にあって会社に遅刻すると、上記のTwitter程の暴言を吐くにはないにしろ、ストレスが溜まっていたのは確かだ。
 

だが、現在は海外に移住して、この「人に迷惑をかけるな!」という言葉に大きな違和感を持つ様になった。
 

今回は「人に迷惑をかけるな!」という言葉に感じる、違和感について語ろうと思う。
 

 

「人に迷惑をかけるな!」と言うのは日本人だけ


自分は現在香港に住んでいるが、この「人に迷惑をかけるな!」という言葉を香港人から聞くことはまずない。
 

それ以前はシンガポールにいたが、同じくこの様なセリフを聞く機会はなかった。
 

元より、海外では日本の様に頻繁に人身事故は発生しないし、人が原因で交通機関がストップすることは非常に稀だ。
 

以前は、その他大勢に影響を与える人身事故の様なものが少ないからこそ、「人に迷惑をかけるな!」という言葉を聞く機会がないのだと思っていた。
 

しかし、実際はそうではなかった。
 

そもそも「迷惑」という概念が海外には存在しないのだ。
 

そのことを裏付ける出来事があるので1つ紹介しよう。
 

迷惑は日本独特の概念

香港では2019年の6月頃から半年間、若者中心に反政府デモが頻繁に行われていた。
 

その政府抗議の一環で、多くの若者が朝の通勤ラッシュでの座り込みや道路の封鎖などを実施。
 

その様なことが行われると、当然、朝は出社が遅れるし、帰りは帰宅が難しくなる。
 

だが、不思議なことに多くの香港人はデモ隊の若者に対して・・・
 

香港人
人に迷惑をかけるな!
 

とは言わなかった。
 

朝のラッシュ時に若者が座り込みをし、電車が発車しなくても(デモとは一定の距離を置く人達でさえ)一定の理解を示していたのだ。
 

在香港の日本人がデモ隊の若者に対して、SNS等で・・・
 

日本人
人に迷惑をかけるな!
 

と叫んでいたのとは実に対照的だ。
 

もしこの反政府デモが東京で起こり、朝のラッシュ時に若者が座り込みなどをしたら・・・
 

日本人
人に迷惑をかけるな!
 

といった多くの怒声が飛び交うことは容易に想像できるだろう。
 

一体この両者の態度の違いは、どこから来るのだろうか?
 

そのヒントになるのが、香港の反政府デモで中心的な役割を果たした周庭(アグネス・チョウ)のTwitterから読み取ることができる。
 

 

迷惑は日本独特の概念。
 

確かに「人に迷惑をかけるな!」というのを言葉を、外国語、少なくとも自分が理解できる英語と中国語にはニュアンスを含めて直訳できる言葉は見当たらない。
 

では、何故この「迷惑」という日本独特の概念が存在するのだろうか?
 

集団の空気は読めても、個人の事情を読めない日本人

新卒で入った会社で、こんな先輩(♂)がいた。
 

その先輩は、面倒見もよく、仕事も出来、いつも夜遅くまでオフィスに残ってハードワークも厭わない人だった。
 

しかし、結婚して、子供が出来るとその先輩は大きく変わる。
 

周りが残業していてもすぐに帰宅する様になったのだ。
 

そんな先輩を見て、上司(独身)である課長は・・・
 

課長(独身)
あいつだけいつも先に帰りやがって!!周りに迷惑をかけるな!!
 

と事あるごとに言うようになる。
 

だが、その先輩には、定時で帰宅しなければいけない「事情」があったはずだ。
 
 

子供を迎えに行かなければならなかったのかも知れない・・・

子供のために、夕食を作らなければならなかったのかも知れない・・・

子供が起きているうちに、コミュニケーションを取りたかったのかも知れない・・・
 
 

だが、この課長はそんな「事情」を察することも尋ねることもなく、この先輩が「周りが残業している中、1人定時で帰っている」ことに「周りに迷惑をかけている!」と判断したのだ。
 

同じことが先述の人身事故でも当てはまる。
 

線路に身を投げた人は、そうしなければならない「事情」があったはずだ。
 
 

学校で苛められていたのかも知れない・・・

ブラック企業で心身ともに限界だったのかも知れない・・・

家庭で多くの悩みを抱えていたのかも知れない・・・
 
 

その抜き差しならぬ「事情」は、日本が抱える社会問題と密接にリンクするにもかかわらず、人身事故が起きた時の日本人の反応は「迷惑をかけられた!」と言う怒りと「電車の運行状況」への関心しかない。
 

この様に現代の日本人は、相手の行為の裏にある「事情」を察するのが非常に苦手なのだ。
 

鬼滅の刃4巻

 

行き過ぎた集団主義が生み出した迷惑という概念

日本人は、幼い頃から学校や家庭で、
 

人に迷惑をかけてはいけません!
 

と何度も教わる。
 

集団の秩序と規律を何よりも重んじ、和をもって尊しとなす。
 

この教え自体は、素晴らしいものだと思う。この「人に迷惑をかけてはいけない」という配慮が、日本を世界有数の治安が良い国たらしめる所以だし、どの分野でもチームワークという点では日本がトップクラスだろう。
 

だが、現代の日本では、この「迷惑」という行為が一人歩きし、人と違う行為や考え方、つまりマイノリティーを潰す格好の道具となってしまっている。
 

例えば、不倫した芸能人やテロ組織に拘束されたカメラマン。
 

不倫した芸能人は、家庭で妻(夫)にDVを受けていたのかも知れない。

テロ組織に拘束されたカメラマンは、戦場で犠牲になる子供たちをもっと日本に知ってほしいと使命感を持って戦場に向かったのかも知れない。
 

こういった出来事には抜き差しならぬ「事情」があるはずなのに、「(世間に)迷惑をかけた」という錦の御旗の前に思考が停止し、相手をバッシングする。
 

それが今の日本なのだ。
 

 

日本人はよく「空気が読める」と自称する。
 

しかし、「空気を読む=思いやりがある」ではない。
 

日本人の「空気を読む」と言うのは、多数派である意見や考えに迎合するだけの行為に他ならない。
 

相手個々人の「事情」に合わせた「思いやり」とは別物だ。
 

個々の「事情」を考慮することなく、集団やマジョリティの前に欠如した「相手への想像力」と「思いやり」。
 

「迷惑」という言葉が印籠の様に掲げられ、他人への想像力と思いやりが欠如した社会を寂しいと感じるのは自分だけだろうか。
 


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