30代で大学生ってそんなにおかしいか?

今年も正月の風物詩、箱根駅伝が盛り上がった。
 

青山学院大学の4連覇で幕を閉じた2018年の箱根駅伝だが、今年は例年にない注目のされ方をしたランナーがいる。
 

東京国際大学1年生、渡辺和也さんだ。

東京国際大、30歳の1年生ランナーが貢献
 

彼は現在30歳で、陸上の指導者として活躍するために大学に入り直したという異色の経歴の持ち主だ。
 

自分も大学に回り道して入ったので、その決断は大変なものだったと想像できる。
 

その時の記事はこちら→引きこもりニートから大学受験を決意させた日本の学歴社会

なぜなら日本の大学は事実上、20代前半までの若者のために存在すると言っても過言ではないからだ。
 

なぜ日本の大学は若者ためだけに存在するのか?
 

社会人を経験してから、大学で学び直すのはダメなのか?
 

30代の大学生というだけで、こんなにも注目を浴びる日本の大学教育のあり方と価値観に異様さを感じざるを得ない。

30代で大学生ってそんなにおかしいか?


以下の数字は各国の大学入学の年齢平均だ。

ノルウェー:30歳
アメリカ:27歳
オーストラリア:26歳
ドイツ:24歳
オランダ:22歳
日本:18歳
出典:https://gakumado.mynavi.jp/gmd/articles/541
 

自分の海外の友人の中には、30歳を過ぎてから大学へ入学するのも珍しくはない。年齢にとらわれることなく、やりたいことや学びたいことがあるから大学に行く。そのために大学はあると考えている。
 

しかし、日本の場合はこの考え方は理解されない。
 

10代で大学に入学するのが当たり前の環境で、20代後半以降で大学生という身分だとマイノリティで奇異な目で見られてしまう。
 

上記の渡辺さんのように30代で大学1年生となると周りの目を気にせず、自分を貫き通す強い精神力が必要になってくる。
 

そもそも若くして大学に入学することがそんなに偉いことなのだろうか?
 

親の金で入学した10代の大学生の中で、どれだけの人間が高い目標を持って大学に通っているのだろうか?

若い人がモナトリアムを楽しむだけになっている日本の大学教育

日本の大学は会社に入るために必要な「新卒」という名のパスポートを得るために存在する。そう言っても過言ではない。
 

自分が就職活動をしていた数年前は、大学の成績表を提出することすらなかった。就職活動でアピールするものは、もっぱらサークルなどの課外活動。大学は勉強する場所ではないと言わんばかりに。
 

「ウェーイ」と叫びながら飲み会だけの大学生活でも「大卒」というだけで世間的に評価されてしまう。
 

事実、日本の大学には25歳以上は2%しかおらず、高校の延長の様なものになっている。海外の様に多様な年齢、多彩な経歴の学生が混ざって影響を与え合うという環境が全くない。
 

自分も日本の大企業に入るには「有名大卒」の肩書きが必要と感じて、フリーターから大学入学を目指したが、大学教育そのものには意味を見出せなかった。大企業に入るための「学歴」と「大卒」の肩書きが入学の目的となっていて、学問を学ぶためではなかったからだ。
 

自分が何をしたいかではなく、他人にどう見られるかを優先する日本人


では何故、日本の大学は、若い人のためだけの教育機関となってしまっているのだろうか?
 

・高校卒業後はより偏差値の高い大学へ進学
・大学卒業後はより知名度がある大企業に就職し40年勤務
・30歳くらいまでには結婚、出産。マイホームを建てる。
・新卒で入社した企業を退職後は年金を貰いながら悠々自適な生活
 

職業によって多少の進路の差はあっても、これは昭和の時代から、今でも多くの日本人に根強く信仰されている「生き方」だ。
 

この生き方は日本人が日本で生きていくための「道」とも言っていいだろう。
 

そして、日本には皆がこの「道」を外れることなく歩んでいるかどうかを監視するものが存在する。
 

それが自称・無宗教と言う日本人が信仰する唯一絶対の存在、「世間さま」と呼ばれるものだ。
 

この「世間さま」はキリスト教で言うイエス・キリスト、イスラム教で言うアラーの様に、日本教での「神」の役割を果たしている。
 

この日本教で信仰されている「道」から一歩でもはみ出ると(例えば「中退」「未婚」「子なし」「複数回の転職」など)「掟破り」と見なされ、「世間さま」から強烈なまでのバッシングを受けることになる。
 

「世間に顔向けできない」「世間に迷惑をかけた」等の言葉に代表される様に、日本で生きていくには、この「世間さま」のご機嫌を損ねたり、示された「道」を破ることはご法度なのだ。
 

つまり、30代で大学に入学するということは、「世間さま」が示した「道」に背くことになる。
 

上記の渡辺さんは箱根駅伝のランナーという特別な存在だからこそ、「世間さま」から好意的な意見で迎えられている。
 

では、もし彼が箱根駅伝のランナーではなかったら?
 

箱根駅伝ランナーというブランドがなく、ただ陸上の指導者として学ぶために大学に入り直したとしたら?
 

「世間さま」はこんなに好意的に彼を迎え入れただろうか?
 

何かを成し遂げるためには、他人にどう見られるかは関係ない


自分がフリーターから3年遅れで大学生になった時、怖くて周囲には自分の年齢は公表できなかった。
 

明らかに自分の経歴が異色で「道」に大きく背いていたからだ。
 

自分の年齢がバレたら「仲間外れにされる」「奇異の目で見られる」「嘲笑の対象にされる」。
 

当時もそう思っていたが、今もその思いは変わらない。大学生活の4年間の中でごく親しい友人にしか自分の年齢は明かさなかった。
 

そう思うと箱根ランナーの渡辺さんの決断力、精神力がどれだけすごいものか実感できる。
 

何かを成し遂げるためには、他人にどう見られるかは関係ない。
 

そう思わせてくれるには十分な箱根7区の走りだった。

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