人に嫉妬しない自分がその理由と方法を語ってみる


自分は人に嫉妬したことがない。
 

しかし、こう言うと必ず下記の様な反応が返ってくる・・・

外野
嘘をつくな—–!
 

さすがに「人生で一度たりともない」と言うのは大げさだが、少なくとも10代後半から、本当に人を羨ましいと思ったことがないのだ。
 

その理由は鈍感だからと言う訳ではなくって、高校の時から10年以上に渡って行っている「ある習慣」に理由がある。
 

何となく始めたものだったが、この習慣から「人と自分を比較すること」をしなくなり、結果的に「人に嫉妬する」ことがなくなったのだ。
 

人に嫉妬しない。
 

言葉にするのは簡単だが、実は日本人には少し難しい課題でもある。
 

なぜなら日本人の「嫉妬」は、その日本の文化や価値観からもたらされるものが大きいからだ。
 

今回は、その日本人特有の嫉妬の要因となる文化的背景の解説と、そんな環境でも自分が人に嫉妬しなくなったある方法について紹介をしていこう。

 

日本人は嫉妬深い?

「日本人は嫉妬深い」。
 

これは、あの1万円札の顔である福沢諭吉も欧米への留学経験から、彼の著書「学問のすゝめ」の中で言及している。
 

ユキチ
日本人は嫉妬深い!(※意訳)

これは海外で暮らして、様々なバックグランドの人達と囲まれて生活してる自分の経験から、ある程度当てはまると思っている。
 

もちろん、日本人以外の人達が嫉妬しないと言う訳じゃない。だが、海外の国々と比較した時、福沢諭吉の言うように、「日本人は嫉妬深い」と認めざるを得ない文化的背景が存在するのだ。
 

江戸時代の「五人組」や「村八分」、「出る杭は打たれる」と言う言葉に代表されるように、日本では昔から「周囲と同じであること」が善とされてきた。
 

それは現代でも変わらない。幼い頃から「周囲と同じであること」を求められる日本人は、常に周りを伺い、

日本人
(自分は周りの人に乗り遅れていないか?)・・・
 

日本人
(周りと足並みを揃えていない人間はいないか?)・・・
 

と常に周囲に伺っている。
 

自分が周囲から遅れていると思ったら、それは嫉妬や劣等感に変化するし、周りと足並みをそろえていない人間がいれば、それは優越感や嫌悪感になる。
 

受験、就職活動、恋愛、結婚、出産。
 

本来、「選択」であるはずのこれらのライフイベントが、「周囲と同じであること」を求められる日本では「義務」の様に語られ、その難易度や速さによって優劣が語られる。
 

そのため、日本人は常に誰かと自分を比較しては「周りが決めた幸せの基準」を自分は満たしているか不安になっているのだ。
 

周囲との必要以上の比較。それが日本人が「嫉妬心深い」と言われる所以である。
 

日本という相互監視社会が、嫉妬深い人間を作り出していると言っても過言ではないだろう。
 

「周りと同じでなければならない」という考えを幼い頃から刷り込まれる日本の中で、「人とは人、自分は自分」と言う割り切った考え方を持つことができる人はごく少数だ。
 

では、この様な「周りと同じでなければならない」という同調圧力の中で、嫉妬心を持たないで生きていくには、どうすれば良いのだろうか?

自分が人に嫉妬しなくなったとある方法とは?


「周りと同じでなければならない」という同調圧力の中で、自分が人と自分を比較することなく、嫉妬しなくなった方法とは・・・
 

それは「走ること」だ。
 

「走ること」と「人に嫉妬しないこと」に何の因果関係があるんだと思うかもしれない。
 

しかし、ただ「走る」だけではない。たった1人で、しかも決められた距離を全力で走るのだ。
 

自分は高校時代に、陸上競技部に所属して短距離を走っていた。
 

だが、入部当初は大した実力がなく、試合ではいつもビリ。悔しくていつもトイレで泣いていた。
 

そんな悔しい思いから、部活の練習以外の秘密の特訓として、始めたのが「走ること」、つまりランニングだ。
 

そこから約15年間、週に3~4回、毎回同じコースの5kmという距離をひたすら全力で走っている。
 

「走ること」は、自分の速さ、つまり実力値がはっきり数字にでるものだ。
 

さらに同じ距離とコースなら、「今回のコースは苦手な坂道が多かった・・・」等の外的要因に影響されない。
 

つまり、良い結果(タイム)が出なかった場合、外に言い訳を求めることは出来ないのだ。
 

他のスポーツであれば、「相手が強かった」「チームメイトがミスをした」など敗因を外にも求めることが出来る。

同じ数字で結果が表れるものとして、TOEICなどの資格試験や会社の営業成績などがある。しかし、これらも試験の出題傾向や景気などに左右されてしまう。
 

同じコースの同じ距離を1人で走ることは、結果の責任が全て自分にかかり、ベストタイムが出なかった場合、「過去の自分に負けた」ことになるのだ。
 

常にライバルは過去の自分自身とも言うことができる。
 

この「走る」習慣を継続することで、常に比較対象が「過去の自分」に向き、何事も「過去の自分」と比較する習慣を身につけることが出来る様になったのだ。
 

走る時は常にアプリでタイムを取り、過去の記録と比較できるようにしている。

嫉妬を克服する方法。それは常に過去の自分と比較すること。

嫉妬を起こしやすい人は、比較対象を常に「過去の自分」にしてみる。
 

これが嫉妬を克服する方法だ。
 

これと似た発言を、先日引退したイチローの会見からも見て取れる。

人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。

まず嫉妬というのは、相手との比較から始まる。特に「周囲と同じであること」を求められる日本人は、何かと人と自分を比較しがちだ。
 

ネガティブに人と比較することなく生きていくには、自分を測りにできる(他人と比較することがない)ルーティンを作ること。
 

もちろん、それは自分の様に「走ること」でなくても良い。
 

以下の三要素があれば、何でも良いだろう。

自分を測りにできるルーティンの3要件
・結果が数字としてわかるもの
・他人と比較する必要がないもの
・良くない結果が出た時に責任転嫁できないもの
 

自分を測りにできるルーティンを行い、常に比較対象が「過去の自分」に向くことを繰り返すことで、何事も人との比較ではなく、「過去の自分」と比較する意識と習慣を身につけることが出来るのだ。
 

「過去の自分」と比較することを続けていれば、他人との比較をして、嫉妬していることが馬鹿らしくなる。
 

なぜなら過去の自分に負けるほど、カッコ悪いものはないからだ。


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